エベレスト街道トレッキング
2023年10月1日〜10月18日(18日間) MM記
登山をしている者なら世界一高いエベレスト 8848mに登ってみたい、または眺めてみたいという願望はあると思う。
私もその一人で1994年7月ににカラコルムのライラ峰6984mの遠征登山で登頂できず5800mまで登って下山しましたが、その時マウンティンフライトでエベレスト8448mをはじめヒマラヤの高峰を眺めました。その後エベレスト街道を歩いて見たいと思いつつ年が過ぎて、体力の衰えでもう登れないと思っていました。
この度、北海道の山友達から誘いを受け、足が遅いので無理と断り続けていましたが熱心な誘いで心が動き、駄目なら途中で下山すればと思い87才の高齢に鞭打って参加させていただきました。
この登山ツアーは「エベレストBCトレッキング」と称した台湾で企画されたもので参加者は日本人2人(北海道の友人と私)と台湾人5人(60代ご夫婦、40~50代女性3人)の7人でそれに台湾のコンダクターが付き現地でシェルパのガイド2人、ポーター4人の構成で実施されました。
期間はカトマンズ集合、解散での準備及び観光を含めて9月30日から10月20日までの21日間でした。10月1日、」カトマンズから空路で滑走路が傾斜しているルクラ(Lukura標高2840m)に飛んでトレッキングを開始しました。トレッキングは雨着、防寒着、テルモス、カメラ等の個装以外はポーターが担いでくれるので楽なものです、初日はドウドウ・コシ沿いの道を約3時間歩いてバクデン(Phakding2610m)のロッジに投宿しました、2日目は小雨の降る中、ジョルサレ(Jorsale2804m)の国立公園事務所でサガルマーター国立公園等の入域料を払い川腹まで下り長い吊り橋ヒラリー橋へ登り返して橋から標高差600mの厳しい登りでナムチェ(Namche3440m)に到着します。
このナムチェは狭い傾斜地にホテル、ロッジ、土産屋、商店がびっしり建てられ山奥なのに一大都市となっていて驚かされました。
3日目は晴、高所順応のため休養してチョウクンの丘に登りガスがなければエベレストが望まれるようですがガスで姿を隠していました。ここで国立公園博物館やシェルパ文化博物館を見学しました。4日目(晴)は高度になれるためルートを外れて東にあるターメ(Thame3440m)で宿泊、5日目(晴)はクムジュン(Khumujung3780m)へ、6日目(晴)はちょっと長い距離を約7時間かけてタンボジェ(Tyangboche3867m)へ、この街道から右手前方に秀峰アマ・ダムラム6814mが見えてこれぞヒマラヤだと実感しました。
エベレスト街道はやはり人気があり、ヨーロッパやアメリカから大勢のトレッカーが訪れて混雑していました。またトレッカーの荷物を運ぶポーターやヤクも通るので渋滞することもありました。またこのタンボチェからローツエ8516mが望まれその左にエベレスト8848mの上部が姿を現し感激しました。7日目(晴)はアマ・ダムラムの横を通過してティンボジエ(Dingboche4350m)へ、8日目(晴)は高所順応のためNagarjun Hill 5030m〈Hillと言っているが岩のピーク〉にデンボチェから約6時間かけて登りました、この登りで強い頭痛が出た若い台湾人2人は途中で下山、私は頂上に登り付近の山々をフルサイズのデジタルカメラで撮影し満足な写真を数枚撮ることが出来ました。
ルクラからここに来る8日間、私は足が遅いのでいつも200mほど後方を歩いて参加の皆さんを待たして迷惑を掛けていました、それで歩行時間が長くなるこの先、軽い腰痛が出て来たのと更に迷惑を掛ける懸念があること、今日5030mまで登れたことで残念ですが私はこれ以上登らないで下山を決意しました。
翌朝、2日目にエベレストBCに到着する皆さんを見送り私はポーターと二人で下山、8日目にルクラで皆さんと合流してカトマンドウに無事下山しました。
なお北海道の友達もエベレストBC5364mに到着後、高山病を発症し呼吸困難で馬をチャーターして降りて来ました。この状況を想うと私の判断は良かったのではないかと思いました。
又このトレッキングに参加して良かったと思いました。振り返れば宿泊はすべてホテル並みのロッジで3食の食事、休憩はレストラン、ロッジで贅沢なものでした、またほとんどのロッジでWifiが使え、メールの送受信出来たので大変便利でした。